誰にも言わないどうでもいいメモ

どうでもいいことを書いてます

帰省と寂しさ

 2か月ぶりに地元へ帰ってきた。街中は抑えきれないほどのクリスマスムード。カップルが大量発生している。僕は今年もLINEの通知が来ないサイレントナイトである。寂しさを紛らわすわけでもないがポケモンGOに向き合う。何度も何度もスワイプしてポケモンをゲットしている。現実において「君に決めた」など気障なセリフを言えないのは少々寂しさを感じるが....

 

 孤独は喫煙よりも健康にリスクがあるらしい。死ぬのは嫌だからといって健康のためだから付き合ってくれなんて許されるわけない。孤独とは一体どういうものなんだろうか。一人でいるときも感じるし、大衆に紛れて歩いているときも孤独を感じることがあるにはある。今までの学校生活においてすら、級友と話しているときですら、ふと孤独を感じることがある。もしかして孤独というものは、いつでも付きまとうものなのか。

 

 帰省して、高校時代の友人と食事をした。彼も彼なりに寂しさを抱えているようだった。寂しさはどうすれば解消するのか。たくさんの「いいね」をもらうことなのか。たくさんの「いいね」をもらうには容姿端麗であるか奇をてらうかの二択しかないと思う。僕は容姿端麗でもないくたびれた23歳の理工系ナードである。そのためたくさんの「いいね」をもらうには奇をてらうしかないだろう。だかといって過激なをこと言うにはリスクは高いし、社会に対して物申すような言動をして注目を浴びようかと思うが、薄っぺらいことしか言えないだろう。上記のことを精力的に行っている人はやはり寂しさを紛らわすためにやっているのだろうか?でもそれで幸せならそれでいいと思う。がんばれ。God bless you.

 

 いつか自分が持っている寂しさが爆発したらどうなるだろうか。様々な活動に身を染めるようになりやがて自滅していくような気がする。寂しさと暇は人を狂わせる。人間はいつも寂しさを抱えて生きている。その寂しさとうまく付き合うことが重要になると思う。人生の要所要所で寂しさという爆弾をどう処理するか求められる。赤い線を切るか、青い線を切るか、それとも爆弾処理班を呼ぶか、爆発する前に逃げるか.....