誰にも言わないどうでもいいメモ

どうでもいいことを書いてます

分岐点

 大学に入って初めて単位を落としそうだ。なんだか情けないけど。なんとかなればいいけど。なんともならないならどうしよう。

 昔から試験とか、テストとかでよくポカをやらかしてしまう。そのせいで高校受験もおち大学受験も落ちている。こういうところがもしかして人生の分岐点なのかもしれない。

 分岐点の先がハイウェイなのか、それとも酷道なのか。

 今年で24歳になる。1995年夏生まれ。そろそろ四半世紀生きたことになる。でもまだ大学三年。というか大学四年になろうとしてる。この先どうなるかわからないけど、とりあえず生きてるだろうし生きていたい。健康に気を使いたいし、適度に人と交流を持ちたい気もする。24歳になったけれども、気持ちとしてはまだ15歳な気がする。高校に上がるか中学を卒業するかの間際のような感覚。

 

 生きるとは何だろう?とは重大なテーマではあるだろうけどよくわからないものだ。ジョジョでいう「人間賛歌」なのかそれとも国語の教科書にある「I was born」なのか。まぁ気楽にやってくいくしかないのかな。

魅力

 約一年前ぐらいから髪を伸ばし始めた。理由としては伸ばしたことがなかったからだ。今では肩ぐらいまで伸びている。周りからの評価はあまり芳しくなく、浮浪者や不審者、売れないバンドマンなど評価は散々である。おそらく更にモテなくなったと思う。

 

 髪を伸ばしたからモテるというわけではないのは分かってる。というか更にモテないと思う。でもなんか「自分は周りと違うんや」という気持ちの悪い優越感を少し持つようになってしまった。しかし奇異の目で見られているのは間違いないと思う。

 

 そもそも自分の魅力って何だろう。顔がかっこいいとか、高身長とか、さわやかとかというのが人としての魅力なのだろう。上記のことはすべて今の自分には当てはまらないだろう。自分の魅力とはいったいなんなんだ。

 

 いい恰好するとか、オシャレに気をつかうことによって自分の魅力を引き出せるのではないか。でも自分の魅力が0だったらどうなる?0に何掛けても0なのだから意味はない。自分は何を持っているんだろう。何も持っていなかったとしたら......考えるだけで恐ろしくなる。魅力を持ちたいという願望はもしかしたら浅はかで愚かな願望なのかもしれない。それでも自分は、誰しもが人生の主人公でありたいと思っている。主人公でなければいけないという強迫観念。これが重くのしかかっているような気がする。背負うにはあまりにも重く離れにくいものをこの先背負うのか。気が滅入りそうだ。

帰省と寂しさ

 2か月ぶりに地元へ帰ってきた。街中は抑えきれないほどのクリスマスムード。カップルが大量発生している。僕は今年もLINEの通知が来ないサイレントナイトである。寂しさを紛らわすわけでもないがポケモンGOに向き合う。何度も何度もスワイプしてポケモンをゲットしている。現実において「君に決めた」など気障なセリフを言えないのは少々寂しさを感じるが....

 

 孤独は喫煙よりも健康にリスクがあるらしい。死ぬのは嫌だからといって健康のためだから付き合ってくれなんて許されるわけない。孤独とは一体どういうものなんだろうか。一人でいるときも感じるし、大衆に紛れて歩いているときも孤独を感じることがあるにはある。今までの学校生活においてすら、級友と話しているときですら、ふと孤独を感じることがある。もしかして孤独というものは、いつでも付きまとうものなのか。

 

 帰省して、高校時代の友人と食事をした。彼も彼なりに寂しさを抱えているようだった。寂しさはどうすれば解消するのか。たくさんの「いいね」をもらうことなのか。たくさんの「いいね」をもらうには容姿端麗であるか奇をてらうかの二択しかないと思う。僕は容姿端麗でもないくたびれた23歳の理工系ナードである。そのためたくさんの「いいね」をもらうには奇をてらうしかないだろう。だかといって過激なをこと言うにはリスクは高いし、社会に対して物申すような言動をして注目を浴びようかと思うが、薄っぺらいことしか言えないだろう。上記のことを精力的に行っている人はやはり寂しさを紛らわすためにやっているのだろうか?でもそれで幸せならそれでいいと思う。がんばれ。God bless you.

 

 いつか自分が持っている寂しさが爆発したらどうなるだろうか。様々な活動に身を染めるようになりやがて自滅していくような気がする。寂しさと暇は人を狂わせる。人間はいつも寂しさを抱えて生きている。その寂しさとうまく付き合うことが重要になると思う。人生の要所要所で寂しさという爆弾をどう処理するか求められる。赤い線を切るか、青い線を切るか、それとも爆弾処理班を呼ぶか、爆発する前に逃げるか.....

 

 

 

 

 

 

異常者

 昔から変わってるね、と言われるのは好きではなかった。自分としては普通に生きているつもりが、なんだか他人から見るとエキセントリックな生き方をしてるらしい。そんなつもりはないんだけどなぁ。

 

 直近のことだけども、童貞であることをなじられた。自分としては普通に生きてきたつもりなのだが、どうやら他人からみたら異常らしい。童貞は何を考えて生きてるのかと未開の地へフィールドワークする文化人類学者のように詰問されてしまった。そんなもんわからん。普通に生きてきたつもりなので。

 

 異常者のレッテルを貼られると自分がまともな生活をしていないように感じてくる。それでも僕は好きなことして生きていくだけだ。

 

 しかし、こうやって便所の落書きのようなもをつらつらと書き連ねる行為こそ、まともに生きてきた人からすれば異常な事なのかな。何が普通なのか。こじらせてるなんて言われたらどうしようもない。

 本をあまり読まないくせに本を買ってしまう。家の中にどんどん溜まっていく。いわゆる積読状態だ。あげく読まないくせに足しげく町の古書店や古本市に顔をだし、本を買ってしまう。本業の物理の本よりも多くなってしまった。それでも読まない。こまったものだ。

 

 自分は活字中毒ではないけども日常的に活字には触れるほうだと思う。物理の専門書はたいてい数式だらけというよりも、活字の説明文のほうが多い。それよりも、物理の読み物とか読むので活字には毎日活字だらけだ。日経サイエンスニュートンブルーバックスなどが当てはまる。

 

 上記のことからあまり小説も新書も読まない。小説に関しては基本的に自分が生まれる前の本しか読まないことにしている。きちんと小説も読みたいけど、読むための時間があまりない。

 

 本をよく読む人は相当読むスピードが早いのだろうか。昔速読とか流行ってたけど、あれで内容を頭に入れることができる人は相当優秀だと思う。おそらく素晴らしい知性と人格をお持ちになられて今社会で活躍されているのだろう。私自身、本を読んでも感化されることはほぼない。そのためこんな愚か者になってしまった。字が読めるだけでいいほうかも。

 

平衡状態

 嫉妬心というものは人をおかしくさせる。殺意や猜疑心を持たせたりして惨事を起こさせる。まるで悪魔のようなものだ。人間誰しも嫉妬心持って生きている。

 

 SNSを見ていると自分に出来ないこと、出来てないことがあると度々自分の無能加減に嫌になる。もうSNSなんて辞めちまえという声も聞こえなくもないが。恋愛の話や、お金の話だったり。僕には経験したことない話をさもできて当たり前のように感じてしまい嫌になる。相手にとって当たり前だけど、僕にとっては非常識みたいな。交換留学でもさせられているような気分でもある。

 

 自分にはなぜこんなこともできないのだろうか、と思い悩んだ結果ある種の考えが生まれた。それは世の中は平衡状態を保とうしているからだと得心した。平衡状態じゃないと何か恐ろしいことが起きるんじゃないかと。そのためにバランスを崩さないように人間は活動しているんじゃないかと。したがって、平衡状態を保つために自分には恋人がいないんだと妙に納得してしまった。恐らくこれは詭弁だけど。

 

 だから、いつか僕に恋人ができたら、平衡状態を保つために誰かが別れることになる。仕方ない、平衡状態を保つためだから。

 

  世の中は対照的にできていると思う。プラスがあればマイナスがある。世の中のものは大抵セットになって存在している気がする。僕が知っている中で反対のものがないのは光ぐらいだろう。やっぱりバランスが保たれているとなんか心地よい。熱湯じゃダメだし、冷水でもダメだ。やっぱりぬるま湯に浸かっていたい。汗もかくこともないし。冷水は被りたくないよ。