誰にも言わないどうでもいいメモ

どうでもいいことを書いてます

数字と昔話をすること

 数字とは不思議なもので我々に過去のことを思い出さしてくれる。例えば9.11と言えばアメリカの同時多発テロのことを思い起こすし、3.11と言えば東日本大震災のことを思い出させる。僕は普段、理系学部の人間なのでいろんな数字と出会うのでいろんな過去のことを思い起こさせられる。

 

 例えば、「2008」という数字は僕が中学に入学した年で中学時代のことを思い出させる。中学時代はいろんなことがあったな、あんときもうちょい勉強すればよかったなーって。「1月31日」はとある高校を中退を決意した日。たしか東京事変が解散したってニュースのほうがショックが大きかった。

 

 こういう話を折に触れて友人とかに話す。過去の話をするのはすごく簡単で脳内の棚から文章を引き出し、口から提示する。しかし僕は、毎度同じ話をするらしく友人から「その話何度目?」と定型文を返される。僕はもうボケてんのか。

 

 昔苦労したことは大抵何年かするとなぜか面白おかしく話すことができる。だから昔の話を何度もしてしまうのだろうか。だからか、おじさんが若い人に苦労しろよと喧伝するのは。これがもしかして老害と言われてしまう行動なのだろうか。僕もとうとう老害呼ばわりになってしまうのか。

 

 自分の話なので作り話と受け取られてしまいそうだけど、実際に起きた話だ。もしかして今の苦労もこの先笑い話としてネタになるのかと思えば何とか乗り切れそうな気がする。そう思いながら苦難上等の選択をしているけどいらない苦労のほうが多い。

 

 

 

流行、アイコン

 今、ポプテピピックが「流行ってる」みたいですね。と言ってもネットの境界を離れるとポプテピピックのポの字も聞かない。結局ネット上だけでもてはやされているのか。これほど、ポプテピの画像を使い消費されているのに外では見かけない。住む世界が違うからなのかもしれないが。

 

 流行とは恐ろしいもので、流布されると周りのみんなはそれをウイルスにやられたかのようにマネしだす。それをマネしなければ「遅れている」と烙印を押される。流行にのることはコミュニティに属しているものに疎外感を感じさせることもできる恐ろしい儀式なのだ。

 

 日本には「○○顔」という顔面分類法が確立されている。塩顔、しょうゆ顔、ソース顔。なぜか調味料の名前で区別し、グループ化する。何年かおきに顔の好みの波みたいなのが来て、そのアイコンが特集され流行りだす。同じ平たい顔族なのに分類されない僕のような添加物顔のヒトはどうすればいいのだろうか。

 

 ひと昔の番組なのか今でもやっているのかもしれないが、スタイリストの人が街角の人のファッションチェックするというコーナーがあった。某人曰く素人に向かって「全然ダメ、流行りのこれを着ければ」と他人の着ているもの全否定するのだ。スタイリストなのに流行りにのっかるなんてと母親が買ってきたものしか着ない人間ながらに疑問を抱いていた。服装なんて流行追いかけてたらつまらないと思う。そういう本流への反動から、原宿系やゆめかわいい系が生まれてきたなのかもしれない。これも結局体系づけられているので流行してしまっただろうか。

 

 流行っていったい何だろうか。地方に住んでる人間は東京のような原宿があるわけでもないし、流行という船に乗るための切符を持てない。結局、音楽や生活必需品と違ってみんなが手に入れられない。流行と決めつけるには遠く北海道の漁師がニューエラとエアーマックスを履いて漁に出てることが必要十分条件ではなく、東京などの大都市で十分なのだ。

 

 服と違って顔はランダムに発生するイベントなので全国的に流行すると言える。もし友人が「今、塩顔系のイケメンと付き合っている」と言えばそれは彼女は流行にのっかているのだなと解釈できなくもない。ブームが過ぎ去れば彼は「時代遅れ」の顔になってしまうとも解釈できる。

 

 流行は恐ろしいものとつくづく思う。流行の顔でなくてよかったのかどうかわからないが、モテないという事実は確か。

 

今夜はブギーバック

去年、小沢健二を聴いて衝撃を受けた。彼が日本に帰ってきてMステに出たときのことだった。そのころ、僕は大学の講義も終わり実家へ帰省するために大阪から帰省した。その日は大渋滞が起き、夕方に帰れるはずだったのについたのは夜。ちょうど実家に帰って晩御飯食べているときに曲を聴いた。

 

「僕らが旅に出る理由」と「流動体について」を歌ってた。

 

小沢健二なんて知らなかった僕はこの衝撃を受けてほかの曲を聴いた。だからと言ってものすごいファンになったとは言えないけど、体内のどこかにその存在があるような気がする。

 

自分が生まれる前にヒットした歌は、今の歌の様式と違っていてとても面白い。むしろ今の歌よりも、自分が生まれる前の歌が心地よい。なんでだろう。

 

ゆっくり歌っているからだろうか。最近のようなスピード感あってドゥインドゥインEDMみたいな踊るための音楽でないからむしろ新鮮。歌詞もしっかり頭に入ってくる。恋とか西野カナみたいに揺れてるわけではなく、ある風景や体で感じた風の心地について語りかけているような気がする。(流動体については)

 

僕は今夜はブギーバックできないのだろうか

 

 

 

 

寝つきが悪く

 最近ストレートネックかなんかで首を痛めた。そのせいか肩甲骨や首の近くが痛み眠れない。夜中の二時ぐらいまで布団の中でうずくまってる。

 

 元々寝つきが悪いほうなのは確か。目を瞑ってもなかなか寝れない。そしてスマホとか見て目が冴えて眠れなくなる。最近は首の痛みがそれを加速させもっと眠れない。

 

 寝るときはだいたい考え事をしている。明日何するかとか。でもそうしても最近は眠れなくなってる。そういう時は妄想にふける。妄想の海に飛び込む。

 

 妄想って何をするのかというと、ワンピースの登場人物になってみたり、宇宙遊泳してみたりといろいろだ。中二病臭いかもしれないけど、これがいらないことを考えて不安になって眠れなくなるよりましだと思う。今日もルフィと戦ってるし四皇も相手にしてる。宇宙空間で光速で泳いでみたり、ビデオみたいに時間を巻き戻したし早めたり、空間を曲げてみたり、パラレルワールド作ったり、海王星に降り立ってみたりいろんなことができる。意外とそういうのが面白かったりする。

 

 現実がつらいからこそ突拍子もない妄想にふけるのかもしれない。妄想の中なら何でもできるし、宇宙の理になれる。

 

 妄想と現実の区別がつかなくなったらいよいよかもしれないけれど、それもそれで楽しいかもしれない。誰にも支配されない海賊王になれるし。

Battle of SNS

SNSとはつらい世界だ、と最近感じ始めた。遅すぎるが。ツイッター、ライン、フェイスブック、インスタグラムなど、多くのSNSがあって世界を形成している。世のなかにはごまんと多くの人類がいてその中に数え切れないほどSNSをやってる人がいる。

 

僕がツイッターを始めたころは、「いいね」ではなく「ファボ」だった。ハートではなく星だった。そのころはどんなツイートしてもいいねがファボが着くこともなかったし、なんかフォロワーとのつながりも薄かった気がする。なんだかよくわからないけどいろんな人がつぶやいてそれがだらだらと流れる様式だった。そしてある大きな出来事が起きて、日本でもツイッターが流行ってきたというのが自分の感覚である。

 

ツイッター歴は長いほうだと思うけど、昔と今のツイッターは結構大きいな違いが自分としては感じ取れる。

 

今はもう、ツイッターは魑魅魍魎としておぞましく、パンデモニウムに迷い込んだように錯覚する。精神的な苦痛から来るツイート、自分の好意対象を賛辞するツイート、根拠があるのかないのか分からないライフハックツイート、政治批判ツイート、他人の揚げ足をとり市中引き回しツイート。これらの弾丸が私たちユーザーの頭上を飛び交っている。リムったりリムられたり、凍結させられたり。SNSは戦場となってしまった。

 

別にそういうツイートするのは構わないと思う。でもそれは幸せにつながるのかと思ってしまう。ちょうどいいガス抜きぐらいならいいのかもしれない。毎日政治批判をしているアカウントを見ると「生きてて幸せなのか?」と思ってしまう。海がきれいだから見に行きなよと言いたくなる。

 

じゃツイッターなんてやめてしまえばいい。そう思われる。そう思うでしょう。確かにそうだ、やめちまえばいいんだよ。やめられない理由がなくやめられないでいるからやめられない。なにかもう少しまっとうな理由を探さなければいけない気がする。その方針のほうが攻撃的な人も納得するんじゃないか。

 

ここは戦場。だれも見向きもしない閉じた世界の戦争。何を叫んでも現実に届くことはほぼなく、四角い画面とにらみ合い、日々を消耗していく。やめられないとまらないスナック菓子のように。

 

不安の冬

 将来への不安が寝る前にやって来る。この先僕はどうなるんだろうかとか、僕本当に働けるのかなとか。当方、大学院進学志望なので就職活動をするつもりはないんだけど、万が一試験に失敗したらどうしようと考えると不安になる。それより僕は社会に出て働けるのだろうか。バイトもあまりしたことない。両親も還暦近いので親にすがるわけにはいかない。免許も持ってない。

 

 将来何になりたいか?そんなことを小さいころに聞かれた。僕は「プーさん」と答えたらしい。その数十年後、僕は浪人し、ついにプーさんになる夢をかなえた。そして、大学院試験に失敗すればまたプーさんになるわけだ。人生で二度も夢を叶えたことになる。僕は夢追い人、ドリカムなんだと思えば詭弁だが。

 

 Popeyeの「20歳の時何してた?」タイトルを見たとき僕はすかさず「浪人してたよ」と即答した。高校を中退して違う高校に移ったので通算四年間高校に通った。それで浪人までしてしまったので20の頃に一浪をすることになった。野球選手のFAみたいに。だから「浪人してたよ」と叫べるわけだ。予備校の生活は最初はついていけなかった。辞めたかった。予備校すら辞めようとする人間なんてこの世にいるのだろうか。なんやかんやで友人ができたからか、予備校に行き続けたけど結局志望校に受からなかった。それで今の大学にいる。

 

 あの時もう少し勉強していればなんて、誰もが後悔をする。僕もそうだったし今も後悔している。別段、容姿がいいわけでもない。俳優になれそうな素質もない。テレビという狂った世界ならお金なんてがっぽりなんだろうとお思うけどそれは甘い考えなんだろう。そう思えば、あの時きちんと勉強し社会経験をして「人間らしさ」を身に着けていたほうがよかったのかもしれない。嫉妬、憎悪を燃料にして後悔につぐ後悔。今はまさに大後悔時代なのだ。

 

 オナニーして、酒飲んで風呂はいって寝る。夜は将来への不安が押し寄せるむなしい生活。この不安をどうにかして軽くできないか。

 

POPEYE(ポパイ) 2018年 3月号 [二十歳のとき、何をしていたか?]

POPEYE(ポパイ) 2018年 3月号 [二十歳のとき、何をしていたか?]

 

 

劣等一億分の一

最近、劣等感をものすごく感じる。生まれや容姿、両親とか、学力とか。テレビを見ることすら嫌になる。こんなのじゃ酒の量が進むばかりだ。肝臓がイカレちまう。

 

他人と比べるな、と多くの引く手数多の偉人たちを仮託して言われ続けたこの呪詛。他人と比べないなんてほとんど無理じゃないですか。他人と比べないとそもそも自分の位置すらわからないでしょ。人間みんな結局比べちゃうわけなんだよな、本能として。太古の恐竜の時代から受け継いできたものなんだなって思う。

 

ミスコンとかそういう容姿で競う大会ってなんだか劣等感をめちゃくちゃ煽る。青学とかそういう本流のミスコンはやっぱり何か格が違うと思う。さすが渋谷にキャンパス構えているだけある。でもやっぱりそこには骨肉のどろどろのせめぎあいがあって、そこを勝ち抜いてこそ、真のミスコン。そこから芸能界入りという何ともレールどころかリニアモーターカーが敷設された人生だよな。相撲でいう学生横綱からの幕下付出。畜生、なんで俺はこんな苦労を!とミスコンにすら参加してない僕を含める紳士淑女は彼女たちが整形しているというエビデンスのない風説を信じ気持ちを落ち着かせるのだ。東大王とか「かしこい」人たちの祭典もこいつらは社会に役に立たんな、テレビのおもちゃじゃないか、と自らを棚に上げて蔑む。

 

「神は美を平等に与えなかった」という何気ないフレーズが僕を傷つけた。これはうちの大学のミスコン&ミスターコンのキャッチフレーズだ。神は常に平等であるべきなのに、美については平等に与えなかったということなんだろうか。出場者は美を与えられて出てないものは美を与えられなかったということであろう。こんなクソみたいなキャッチフレーズこのご時世によく通ったなと。差別じゃん。なんて負け犬根性で叫んでも誰も聞いてくれないのである。負け犬の声は小さいから。

 

それから何もかも見るものすべて世間で美男美女と評価された人が憎悪の対象になってしまった。コンビニ行くたびに表紙の雑誌のグラビアアイドルを殴りたくなる衝動に駆られている。ぐっと拳を引っ下げ我慢する姿は外国から出稼ぎに来た労働者にも滑稽な姿として映っているだろう。まるで性の喜びおじさんじゃないか.....

 

神は僕に劣等感というダーツを当てた。僕は、日本劣等一億分の一、劣等村の劣等村人なのさ。