誰にも言わないどうでもいいメモ

どうでもいいことを書いてます

異常者

 昔から変わってるね、と言われるのは好きではなかった。自分としては普通に生きているつもりが、なんだか他人から見るとエキセントリックな生き方をしてるらしい。そんなつもりはないんだけどなぁ。

 

 直近のことだけども、童貞であることをなじられた。自分としては普通に生きてきたつもりなのだが、どうやら他人からみたら異常らしい。童貞は何を考えて生きてるのかと未開の地へフィールドワークする文化人類学者のように詰問されてしまった。そんなもんわからん。普通に生きてきたつもりなので。

 

 異常者のレッテルを貼られると自分がまともな生活をしていないように感じてくる。それでも僕は好きなことして生きていくだけだ。

 

 しかし、こうやって便所の落書きのようなもをつらつらと書き連ねる行為こそ、まともに生きてきた人からすれば異常な事なのかな。何が普通なのか。こじらせてるなんて言われたらどうしようもない。

 本をあまり読まないくせに本を買ってしまう。家の中にどんどん溜まっていく。いわゆる積読状態だ。あげく読まないくせに足しげく町の古書店や古本市に顔をだし、本を買ってしまう。本業の物理の本よりも多くなってしまった。それでも読まない。こまったものだ。

 

 自分は活字中毒ではないけども日常的に活字には触れるほうだと思う。物理の専門書はたいてい数式だらけというよりも、活字の説明文のほうが多い。それよりも、物理の読み物とか読むので活字には毎日活字だらけだ。日経サイエンスニュートンブルーバックスなどが当てはまる。

 

 上記のことからあまり小説も新書も読まない。小説に関しては基本的に自分が生まれる前の本しか読まないことにしている。きちんと小説も読みたいけど、読むための時間があまりない。

 

 本をよく読む人は相当読むスピードが早いのだろうか。昔速読とか流行ってたけど、あれで内容を頭に入れることができる人は相当優秀だと思う。おそらく素晴らしい知性と人格をお持ちになられて今社会で活躍されているのだろう。私自身、本を読んでも感化されることはほぼない。そのためこんな愚か者になってしまった。字が読めるだけでいいほうかも。

 

平衡状態

 嫉妬心というものは人をおかしくさせる。殺意や猜疑心を持たせたりして惨事を起こさせる。まるで悪魔のようなものだ。人間誰しも嫉妬心持って生きている。

 

 SNSを見ていると自分に出来ないこと、出来てないことがあると度々自分の無能加減に嫌になる。もうSNSなんて辞めちまえという声も聞こえなくもないが。恋愛の話や、お金の話だったり。僕には経験したことない話をさもできて当たり前のように感じてしまい嫌になる。相手にとって当たり前だけど、僕にとっては非常識みたいな。交換留学でもさせられているような気分でもある。

 

 自分にはなぜこんなこともできないのだろうか、と思い悩んだ結果ある種の考えが生まれた。それは世の中は平衡状態を保とうしているからだと得心した。平衡状態じゃないと何か恐ろしいことが起きるんじゃないかと。そのためにバランスを崩さないように人間は活動しているんじゃないかと。したがって、平衡状態を保つために自分には恋人がいないんだと妙に納得してしまった。恐らくこれは詭弁だけど。

 

 だから、いつか僕に恋人ができたら、平衡状態を保つために誰かが別れることになる。仕方ない、平衡状態を保つためだから。

 

  世の中は対照的にできていると思う。プラスがあればマイナスがある。世の中のものは大抵セットになって存在している気がする。僕が知っている中で反対のものがないのは光ぐらいだろう。やっぱりバランスが保たれているとなんか心地よい。熱湯じゃダメだし、冷水でもダメだ。やっぱりぬるま湯に浸かっていたい。汗もかくこともないし。冷水は被りたくないよ。

 

 

集合

  僕は一体何者なんだろうか。と哲学者のように考えることがある。大した哲学じゃないけれど僕は一体何なんだろうか。

 

 個人的なことだが僕はよくNiko and…に行く。服を買うか買わないかは別として足繁く通ってる。そのためモデルとして起用される菅田将暉小松菜奈をよく見かける。彼らはファッション誌にもモデルとして載ってる。美男美女なのでなんでも似合う。ファッションに疎いので上手く言えないが着こなしが上手いと思う。

 

 では、もしも僕が菅田将暉の着ている服を全て真似すれば僕は菅田将暉になれるのだろうか?当然彼にはなれないと思う。けれども僕は彼に影響されて服を買ったことになるので彼の一部が僕を作っているとも言える。変な言い方だけども。

 

 それなら僕は一体何者なんだろうか。誰かの部分の集合ならそもそもの自分とはどこにあるんだろう。それだと僕の一部も誰かの集合の一部になってることになる。誰かの一部が僕を作りあげて僕の一部は誰かの一部になっているがその一部は彼の一部でもありそして.......とわけが分からなくなってしまう。もうここまでくると馬鹿馬鹿しいな。むしろ自分が空っぽならこんなこと考えなくて良かったのになぁ。

覇気

 10代後半くらいから23歳の今に至るまで段々と元気が無くなってきた。特に独りの時に。別に体調を崩した訳でもないけど元気がでない。何しても楽しくない。血圧と心拍数が上がらない。目の前の風景が常にスロー映像にみえる。楽しいが分からなくなってきた。

 

 歳をとると経験値が増える。そのためか、あらゆることに慣れが出てきてしまい何もかも当たり前に感じてしまうから楽しいが分からなくなっているんじゃないか?個人差はあると思うけど。しかし、20代半ば間近にして「血湧き肉躍る」を感じなくなったのは非常にまずいんじゃないかと思う。興味の幅が段々と狭まっていくのを感じる。イメージしていた20代はギラギラとしていた。けれども、今はどうだろう。ギラギラ脂ののったアツアツの20代ではなく、試食コーナーのコロッケのように冷めきっている。

 

 もう少しテンションを上げたい。ドラッグの効き目が無くなったみたいな、常にボーッとしてる状態がここ数年続いている。どうして元気がでないんだろう。最近何を思ったか、薬ならこの問題を解決出来ると思い、バイアグラみたいな薬を飲んでみたけど何も変わらなかった。僕は一体何が楽しくて生きているんだ。

 

 このテンション上がらない問題の原因として元来自分の心の深層にある「めんどくさい」が影響しているのかもしれない。この「めんどくさい」があらゆることに影響し始めているのだと思う。「めんどくさい」が活力を奪っているとしたらこれは大問題である。

 

 テンションをあげるために何をするべきか。恋愛か?出世か?有名人になるか?色んなことが解決策として浮かび上がる。けれども、どれもなんだかめんどくさい。あぁ、言い訳するのもめんどくさい。

 

虎と馬から逃げる

 僕は小学二年生のころ同じ班の女子からほぼ一年「気持ち悪い」と言われていた。それから女性に対して少し億劫になってしまった。いわゆるトラウマである。今ではそこまで億劫になることはないけどやはり昔のことが尾を引いてる。あまり積極的になれない。

 

 学校はトラウマ製造工場だとつくづく思う。教師は必ずヒステリックを起こしたように説教していた。経験上男女問わず、そして小学校が一番激しい人が多かった。毎日ヒステリックが飛び交う教室にいるとなんだかそういう場所にいるのが嫌になる。やはりここでも過去の事が尾を引いて、高校を一度やめてしまった。酷い高校だった。

 

 夢の中でたまに過去いた場所にいることがある。特に中退した高校の校舎にいることが多い。よほど精神的ダメージを受けいたことがうかがえる。校舎にいることだけでもかなり恐怖を感じる。その周りには嫌いだった同級生たち。教師のヒステリックを起こす原因たち。そこから、あの日の出来事が映画のように夢の中で進んでいく。場所を変えて、体育館、研修施設。色んな日のことを思い出させるように。夢から目覚めるとまだ高校にいるような感覚がある。大抵、この類の夢を見ると戦地から帰ってきて悲惨な目にあった元兵士のような目覚め方をしてしまう。まだあの戦地にいるかのような錯覚までもする。

 

 今では、過去のことは笑い話して済ましてる。失敗なんて笑い話になるならいいかな、という気持ちになるくらい今は昔に比べてポジティブになってる。でもやはりトラウマからは逃げてしまう。トラウマから逃げてばっかりでは行けない気もする。変えられるとこは変えていきたいけど。

 

 とは言っても、急に変えるのは難しいし、何を変えたらいいんだ。ということになる。トラウマとがっぷり四つになれということなのか。トラウマと面と向かって克服することが重要なのか。トラウマなんてないほうがいい。いつのまにか、辛かったトラウマを免罪符のように扱ってる自分が憎い。こういうことに固執してるからいつまでも陰キャと言われるのだ。そうやって、また免罪符を使ってしまう。トラウマは免罪符の安売りのように見えてしまう。ルターが怒るのも間違いない。

 

 でも面と向かって克服するしか解決しないのかね。

変わらない町

 この町も変わんねぇな、と思いながら地元に帰省する。寂れた駅前とか、よく見る人とか。全く変わらない。お前何年その位置にいるんだよみたいな人もいる。

 

 でも僕が知らないところで何かが変わってるのかもしれない。潰れたりしてるところもチラホラみてとれる。以外と僕は何も知らないのかもしれない。

 

 いつもいる人達はだいたい昼間から夕方にかけている。何をしているんだろうか。駅前でたむろする人。宗教勧誘の人。必死に拝む人。世の中の不満を世間に問うために辻説法する人。パチンコ屋の前で酒盛りをする人々。誰かをターゲットにしてる中年ホスト。コンビニのコンセントから電動車椅子を充電する人。いったい何者なのだろうか。これだけはいつまで経っても分からない。というより解決しないほうがいいんだと思う。そっとしてあげよう。そのほうがどちらも幸せで入れると思う。町が変化しても彼らは変わらずそこにい続ける。それがいいのかもしれない。

 

 どの町にもある位置に居座り続ける人は見かける。流動的に変化する都会でもいる。川の流れに逆らうようどっしり構える大岩のように彼らは存在している。道祖神のようにいつもあり続けている。彼らがいてこそ町があるんだなっと最近思うようになった。彼らを排除せず、そっとしてあげたい。いつか僕も彼らのようになった時のために。人には親切にしとくほうがいいはずだから。