誰にも言わないどうでもいいメモ

どうでもいいことを書いてます

劣等一億分の一

最近、劣等感をものすごく感じる。生まれや容姿、両親とか、学力とか。テレビを見ることすら嫌になる。こんなのじゃ酒の量が進むばかりだ。肝臓がイカレちまう。

 

他人と比べるな、と多くの引く手数多の偉人たちを仮託して言われ続けたこの呪詛。他人と比べないなんてほとんど無理じゃないですか。他人と比べないとそもそも自分の位置すらわからないでしょ。人間みんな結局比べちゃうわけなんだよな、本能として。太古の恐竜の時代から受け継いできたものなんだなって思う。

 

ミスコンとかそういう容姿で競う大会ってなんだか劣等感をめちゃくちゃ煽る。青学とかそういう本流のミスコンはやっぱり何か格が違うと思う。さすが渋谷にキャンパス構えているだけある。でもやっぱりそこには骨肉のどろどろのせめぎあいがあって、そこを勝ち抜いてこそ、真のミスコン。そこから芸能界入りという何ともレールどころかリニアモーターカーが敷設された人生だよな。相撲でいう学生横綱からの幕下付出。畜生、なんで俺はこんな苦労を!とミスコンにすら参加してない僕を含める紳士淑女は彼女たちが整形しているというエビデンスのない風説を信じ気持ちを落ち着かせるのだ。東大王とか「かしこい」人たちの祭典もこいつらは社会に役に立たんな、テレビのおもちゃじゃないか、と自らを棚に上げて蔑む。

 

「神は美を平等に与えなかった」という何気ないフレーズが僕を傷つけた。これはうちの大学のミスコン&ミスターコンのキャッチフレーズだ。神は常に平等であるべきなのに、美については平等に与えなかったということなんだろうか。出場者は美を与えられて出てないものは美を与えられなかったということであろう。こんなクソみたいなキャッチフレーズこのご時世によく通ったなと。差別じゃん。なんて負け犬根性で叫んでも誰も聞いてくれないのである。負け犬の声は小さいから。

 

それから何もかも見るものすべて世間で美男美女と評価された人が憎悪の対象になってしまった。コンビニ行くたびに表紙の雑誌のグラビアアイドルを殴りたくなる衝動に駆られている。ぐっと拳を引っ下げ我慢する姿は外国から出稼ぎに来た労働者にも滑稽な姿として映っているだろう。まるで性の喜びおじさんじゃないか.....

 

神は僕に劣等感というダーツを当てた。僕は、日本劣等一億分の一、劣等村の劣等村人なのさ。