誰にも言わないどうでもいいメモ

どうでもいいことを書いてます

漂流インターネット

ツイッターを初めて約8年くらいが経つ。インターネット歴はそれ以上だと思う。まさにデジタルネイティブなのかなと。ツイッターとかネットコンテンツに触れている時間は一日の大部分を占めるかもしれない。というかインターネットは生活必需品、もはや主食にまで地位を上り詰めてる。

 

インターネット老人の部類に含まれるのかもしれない。2chはやったことないけど。ネット上には様々な情報が氾濫していて好奇心を満たすにはもってこいだ。小学生ながらポケモンの攻略法や裏技、youtubeを散々漁った。中高生になれば親がいない間にXvideoを鑑賞。大学生になれば明日への不安を消すために、大学院や就職の情報を探して自分を慰めたり奮い立たせたり。ネットは薬にもなるし毒にもなる。

 

SNSが流行りだしてネットってみんなのものになった気がする。女子高生から電波にあてられて進化した人、政府広報や政治家なの、根暗な洞窟に住む住人から万人のものになった気がする。電車男を知ってる人はもしかしたら卒倒するかもしれない。まさか、女子高生が「草不可避」とか言ってるなんて。

 

そうやっていろんな人種がSNSを始めだして、いろんな画像が漂流し始めた。自撮り、おいしそうな料理の画像、情欲をそそる裸体、死体、美男美女、絶景。もうなんでも目にすることができる。もうルーブルまで行く必要はないだろう。

 

ネットに漂流して座礁した画像はほとんど消えることはない。0と1の世界で生き続ける。例えば、誰かが問題起こした場面に遭遇してスマホでかしゃりと写真なり動画なり撮る。そしてSNSへ放流する。そしてトラブルを起こした本人はネットの世界で死刑を執行される。現代はみんなスマホという死刑執行装置を持ち歩き、皆が執行人の資格を持っている。誰かがスイッチを押せば刑が執行される。そしてつられるようにみんながボタンを押すシステム。

 

こう考えてみると、自撮りとか隆盛を極めたネットコンテンツは現実世界で実体として死んでもネットの世界で半永久的に生き続ける不死を強いられるのだ。例えば、野獣先輩は死亡説がでいるのにいまだにネット上で生き続け、私たちに娯楽を与え続ける。そこに彼の意志は存在しない。どんなに美しいモデルも死んでしまえばそこからアップデートされないわけで、ずっときれいだった姿でネット住民に周知されるだけになる。あの好きな子の写真を保存してしまえば永遠に彼、彼女を永遠に愛でることができる。永遠の17歳を作り上げられる、この手で。

 

白熱してストーカーなどはしちゃだめだぜ