誰にも言わないどうでもいいメモ

どうでもいいことを書いてます

私語と寸止め

学校生活を長年していると講義中の私語なんてあって当たり前のようになる。塊になってすごい喋る。講義始まっても喋る。すげえ喋る。こそこそと妖精のように喋る。

 

それで教師に「静かにしろ」と言われるか、ほっとかれて見捨てられるか。

 

僕個人としては目の前のことに集中したいから私語はやめて欲しいんだが、注意するとなんか仕返しが来そうで怖いからできない。「モブの癖に注意してんじゃねぇよ」って感じで写真撮られてネットリンチに会いそうだ。というかそんな相手にする気にもならないけども。

 

注意されるまで喋るなんて、逆に凄くないか?周りは能面のような顔で講義聞いてるか寝てるかツムツムしてるかどれかなんだよ。めっちゃ目立つよ。万が一、注意されて評価下がったり、最悪の場合、単位あげねぇ!ってやられたりする。彼らはギリギリを生きて今日も死線をくぐり抜けてる。どこからともなく彼らは様々な講義に現れる。ゲリラなのだ。

 

「お前そんなの気にすんなよ」

という寛大な保守がおられる。心が宇宙よりも広くブラックホールより深い御仁なのだろうが僕はそんな聖人君子じゃない。心が狭小住宅のように狭い。考えてもみてほしい、周りで羽虫やハエがブンブンと動き回れば不快指数は極限まで上がるだろう。これは鬱陶しい以外の感情がわかない。

 

さて、今日もギリギリを生きてるゲリラ達と講義を受けてる。こちらもヒヤヒヤしながら「あぁ、あいつら注意受けちゃうのかな...」と巻き込まれる僕の身にもなって欲しいな、と思いながら僕も同じ死線を生きてる。ギリギリまで攻める。寸止めと一緒だ。いき過ぎてもだめだし手加減が難しい。もしかして彼らはギリギリ感を感じたいからあんなことやってんのか?って思い始めた。こんなハイテクノロジーが発達したこの平成も終わろうかとするこの時代に、他人が大勢いる静かな場所で発話で会話するメリットって何なんだ??LINEとかでスタンプ押しまくってLINEで会話すればよくないか?

 

こんなにも喋り、寸止め続ける。喋りが好きならきっと落語家になれる。座布団10枚、人間国宝文化勲章総ナメや。僕も寸止めで鍛え上げた技術を駆使した噺を聞きに行きたい。だからそのまま寸止めをやめないでおくれ。夢はでっかく大きくだ!

 

よそう、また夢になっちゃいけねぇ