人を褒めるということ
人を褒めるのは難しい。優しいとか、思いやりがあるとか、数え切れないほど褒め方のパターンがあるはずだ。
容姿を褒めるのは簡単で「可愛い」とか「綺麗」とか「カッコイイ」とか見たまんま本能で適当なことを言えば済むから簡単である。
しかし、人格とか人となりを褒めるのは至難の極み。
小学生の頃、人を褒めようとかいう道徳みたいな価値のない単元の授業の中で人を褒めなければいけなかった。
生憎、他人のことなど知らぬ存ぜぬ、という小学生生活を送っていた僕は不可侵条約を結んでるわけでもないのに、他人の輪にも入ることすら許されて無かった。そのため、相手も僕も、互いに褒めることが出来なかった。僕を褒めることになる相手の身にもなってみろ、こんな生き恥なんてない。クラスの除け者を褒めることは十数年生きててないはずだ。
「なんか最近やった?」と聞かれ、答えることがなかったので
「洗面所の石鹸を吊るすやつを作った、前のなんかの授業でな」と僕は適当にありのままを答えた。そうすると
「じゃ、手先が器用ですごい、って書いとくわ」と相手はそう言いながら、ざら紙に印刷されたプリントにそのまま書いて提出した。
手先が器用
これ程素晴らしい褒め言葉はないだろう。僕は手先が器用なんだ!何にでも出来るじゃないか!手先が器用なら!という肯定感を感じるはずもなく僕は相手を「誰にでも優しい」と書いてプリントを提出した。
数年後この人は僕の実家の壁が灰色なだけで「貧乏人!」と罵る人でもある。