誰にも言わないどうでもいいメモ

どうでもいいことを書いてます

翼をください

エヴァンゲリオン翼をくださいを聞くとなんか悲しくなるよね。人生のエンディング曲みたい。小学校の音楽の時間で何度も、何年も歌った。学習発表会的な場所で。

 

エヴァンゲリオンだとこの曲はたしかエヴァンゲリオン破の最後に流れるんだよな。シンジくんが綾波を救い出そうとしてなんやかんやあってサードインパクト起きそうになって.....。この時に流れるこの曲の破壊力は抜群だよ。

 

翼をくださいを聞くと小学校の音楽の時間を思い出す。小学校の音楽の先生は凄い熱心な方ですごい熱心に僕らを指導していた。もうなんか凄いテンション高かったし、厳しかったし。でもこの先生病気で、僕が高校入った時位に亡くなった。小学校の頃くらいから病気が進行していたみたい。命を燃やすってこういうことか。

 

あの冷たくて狭い無機質な学び舎を卒業してから翼をくださいを聴くと昔を懐かしむ気持ちとか出てきちゃう。そういやアイツ何やってんだろとか。まぁ片田舎の狭いコミュニティなのでそんなことすぐ分かる。僕の右目に豪速球当てた奴は今や父親らしい。実家の2軒隣の同級生はもう5年も会ってない。

 

こうなっちゃうと僕はいったい何をしてるんだと。暗いジメジメした下宿先でパソコンにただ怠惰に鬱屈した感じで向き合って。ため息混じりに半額の惣菜と酒飲んで寝て、頭痛とともに朝めざめる。ぼけっとしながら講義受けて家に帰って寝るの繰り返し。

 

本当に翼をくださいって感じだ。この大空に翼を広げ飛んでいきたいよぉ~って。

 

何回レッドブルを飲んだことか。何が翼を授けるだ。ブクブク太るだけじゃねぇか。

ファミマトライアングル

今月一つの牙城が崩れた。近所のサークルKが遂にファミマになってしまった。家の周りに三軒もファミマがある。ファミマトライアングルに囲まれてしまった。

 

正直、1番好きなコンビニはローソン。ローソンのグラコロハンバーガーがめちゃくちゃ美味しいからだ。Lチキとか色んな味がたまにあるし150円くらいだし。

 

ファミマに行くと店内放送ヤバくないですか。狂気というか。合宿免許ワオ!とか帝京平成大学!とかもうあれが延々と流れてる。「学生数1万人以上!帝京平成大学!」って毎日聞いてますよ、帝京平成大学ってファミマ以外で聞かないでしょ。もうなんか吉本興業の芸人のなんかよく分からない話とか。

 

近所にファミマしかない。もっといっぱいコンビニは世の中にあるだろうに。もっとセブンイレブン使いたいしなんならミニストップNEWDAYSとか行きたいし。なんでファミマばっかりやねん

 

助けてファミマナビゲーターのあべこうじさん.....

身分

何かを申請するとき、身分証明するものが必要な時ってあるよね。その時出すのがだいたい免許証。でも、免許証持ってない僕はどう身分を示せばいいのか。そもそも僕の身分ってなんなんだ?

 

学生証だしても「いや、免許証とかないですかね?」と嫌な感じで言われる、免許証持ってないから学生証出してんだ。どうやら学生というのは身分ではないらしい。

 

身分と言われるとなんか伯爵とかそういうもんしか思いつかないよね。オレ、伯爵やねんって言う人、現代にほぼいないけど。

 

免許証持ってないからってわざわざ合宿免許ワオ!に駆け込んで免許証手に入れるのももはや狂気だし、毎日パスポート持ちあるくわけにも行かないし。そもそもパスポートすら持ってない。身分を示すことの出来ない僕はいったい何者なんだ.....

 

免許証を手に入れたら始めて身分を与えられ、身分を示す自由を手に入れられる。俺の身分はこれや!と免許証を市役所で叩きつけれる。ゴールド免許を取得して身分を高め、この殺伐とした現代社会にゴールド身分を誇示できる。バーに座りあちらのお客様からですと免許証をシューっと滑らせて身分を示すことができる。カッコイイな。

 

僕の身分はいったいなんなんだ。身分を探す旅にでようか。自らと向き合い身分を見つけるためにマイナンバーを叫び続けようと思う。

彼女いない歴

漢文の素養がある方は歴史の「歴」は「広い」って感じの意味で昔のことをしたためているという意味ではないということを知っているだろう。正確には彼女いない史。

 

彼女いない史22年の僕はそろそろ四半世紀になる。22年もなれば龍馬伝のナレーションみたいに「彼女いない史20年のことじゃった!」みたいになんかすごいことがあった感じに言えそうだ。なんのこたァない、この年は虫歯が6本見つかった。歯磨きがものすごい下手だったということに気付かされたぐらいだ。

 

彼女作ればええやん、なんてストレートをみぞおちにラッシュしてくる人もいるがちょっと待ってほしい。作ろうと思って作れるなら苦労しない。というかどうすればいいか分からないんですよ。というか自分のことで精一杯なのに他人まで気にかけるのは少し僕には難しい。彼女作ってしまえば長い間紡いできた彼女いない史がここで終わってしまう。R.I.P.

 

司馬遷が宦官になってずっと史記を書いていったように僕もおそらくこの先もずっと彼女いない史を紡いで行くのかもしれない。

 

彼女いない史22年、そろそろ老舗の仲間入りだ。

 

 

 

 

 

ストロングゼロ依存症

今日からもうストロングゼロ飲むのはもうやめよう。ストロングゼロは絶対体に悪い!

 

そう決意して今月3本目ストロングゼロを飲んでしまった。ついでに取って買ってしまった。でも、もうやめよう。次は絶対買わない。半額の惣菜を買いながらそう思った。

 

でもどうせまた買っちゃうんだろうな...

だったら鬼ころし買おうかな

 

ストロングゼロってあらゆるものを治しちゃうよね。ストレス、疲労、精神的なめんどくさいこととか。全部吹き飛ばす。これって薬物なんすよ。クスリなんだよ。ヤクブーツなんですよ。

 

一度摂取したらやめることが出来ないクスリ。だって500mlあって150円くらいで買えちゃうんだぜスーパーだと。そりゃ半額の惣菜買ったらストロングゼロも付いてくるでしょ。

 

ストロングゼロとか氷結とか現代を生きる必需品になってる。ポケモンのげんきのかたまりみたいなもんなんだ。現代社会は常に瀕死の状態なんだよ。そりゃ必要なものですわ。

 

でもオレ、次は絶対辞められると思うんだストロングゼロ。もう絶対買わねぇ。

 

(この文章はストロングゼロ飲みながら思いました)

 

 

 

朝のマクドナルド

久しぶりに朝食をマクドナルドで食べた。毎度の事ながら受付は出稼ぎ労働の外国人である。いつものように齟齬をきたしながらメニューを頼み注文を待つ。アイスコーヒーとチキンクリスプマフィン。我ながらいい打順だと頭の中の井之頭五郎も呟きながら腹を空かせている。

 

プレートをもって二階に上がって席を探すとおじさん、おじさん、おじさん。溢れんばかりの中年サラリーマンやおじさん。朝のマクドナルドってなんか一触即発の雰囲気ありませんか?

 

京都のマクドナルドで朝食とった時は観光客もさることながらおじさんも引けを取らず多かった気がする。おじさん朝強い。

 

丸々と太った不健康なおじさんからみすぼらしいおじさん、ちょっと重役ぽいおじさん。中年サラリーマン。目の前のおじさんは夜の居酒屋で鍛え上げた自慢の腹を突き出しハンバーガーにがっつきながら新聞を読んでる。目の前に見える新聞の広告欄には「健康生活」と書いてある。そっちを読めよとつっこみたくなる。

 

他のおじさんは競馬の新聞読みながら熱心にチェックを入れてる。目が死んでる。自我を殺してる姿が見える。金のためなら自我をも殺すおじさんの姿は禅を極めた禅僧のようなたたずまいだった。達磨大師が禅の極意は何だと聞かれて「わかりません」と答えたようにあのおじさんも競馬の極意は何だ聞かれても「わかんねぇ」と答えるはずだ。なけなしの金を掛けて一瞬一瞬を生きているのかもしれない。おじさんはいつも命懸けだ。

 

 

 

 

私語と寸止め

学校生活を長年していると講義中の私語なんてあって当たり前のようになる。塊になってすごい喋る。講義始まっても喋る。すげえ喋る。こそこそと妖精のように喋る。

 

それで教師に「静かにしろ」と言われるか、ほっとかれて見捨てられるか。

 

僕個人としては目の前のことに集中したいから私語はやめて欲しいんだが、注意するとなんか仕返しが来そうで怖いからできない。「モブの癖に注意してんじゃねぇよ」って感じで写真撮られてネットリンチに会いそうだ。というかそんな相手にする気にもならないけども。

 

注意されるまで喋るなんて、逆に凄くないか?周りは能面のような顔で講義聞いてるか寝てるかツムツムしてるかどれかなんだよ。めっちゃ目立つよ。万が一、注意されて評価下がったり、最悪の場合、単位あげねぇ!ってやられたりする。彼らはギリギリを生きて今日も死線をくぐり抜けてる。どこからともなく彼らは様々な講義に現れる。ゲリラなのだ。

 

「お前そんなの気にすんなよ」

という寛大な保守がおられる。心が宇宙よりも広くブラックホールより深い御仁なのだろうが僕はそんな聖人君子じゃない。心が狭小住宅のように狭い。考えてもみてほしい、周りで羽虫やハエがブンブンと動き回れば不快指数は極限まで上がるだろう。これは鬱陶しい以外の感情がわかない。

 

さて、今日もギリギリを生きてるゲリラ達と講義を受けてる。こちらもヒヤヒヤしながら「あぁ、あいつら注意受けちゃうのかな...」と巻き込まれる僕の身にもなって欲しいな、と思いながら僕も同じ死線を生きてる。ギリギリまで攻める。寸止めと一緒だ。いき過ぎてもだめだし手加減が難しい。もしかして彼らはギリギリ感を感じたいからあんなことやってんのか?って思い始めた。こんなハイテクノロジーが発達したこの平成も終わろうかとするこの時代に、他人が大勢いる静かな場所で発話で会話するメリットって何なんだ??LINEとかでスタンプ押しまくってLINEで会話すればよくないか?

 

こんなにも喋り、寸止め続ける。喋りが好きならきっと落語家になれる。座布団10枚、人間国宝文化勲章総ナメや。僕も寸止めで鍛え上げた技術を駆使した噺を聞きに行きたい。だからそのまま寸止めをやめないでおくれ。夢はでっかく大きくだ!

 

よそう、また夢になっちゃいけねぇ